重複ファイルの検索削除アプリ

MacProの身の回りを整理している。
パソコンだけではなく、本当の意味での
身辺整理を少しずつ実行している。

是までの、慎重な態度が災いして(?)
ファイルを色々なHDD等へバックアップ
保存してきたが、いよいよ其れを整理しようと
調べ上げてみると、重複している書類や、データの
多いこと、多いこと。

Spotlight検索で一々手作業を行って終わるような
バラツキではない。

インターネット検索で、重複するファイルを検索・
削除もしくは移動に該当するアプリを調べてみる。

宣伝が上手い会社(?)等で販売しているアプリは
色々な露出が有るが、本当に信用出来る?
その一つがGemini

書き込みでは、なかなかの評判なのだが、
辛口の批評が殆ど存在していないことに
引っかかる。
大体、優れているモノは、意見が2つに分かれるものだ。
今評価の基準としているのは、OSX10.6でも動作するモノ。

OSX10.7以降しか対象にしてくれないモノは、(?)の
扱いをしている。

最も、色々使えそうなアプリがOSX10.7以降を対象に
していることが有り、自分自身もやむなくOSX10.7の
LIONを購入したのだが。
Duplicate File Finderという分類に入るアプリの候補は

 Dupe Zap Plus OSX10.6.6~
Mac Cleance OSX10.6~
 
OSX10.7以降なら
 Twin mini
 Gemini
 Clear Dup
 The Duplication Finder
etc.等色々有るのだが、果たしてこれらの内の
どのアプリが最終選考に残るのやら?

重複ファイルを探す前に
Desktop Tidyというアプリを使用して、
先ず、拡張子別のフォルダー分けを実行
してから、重複の選別作業をするのも、
もう一つの悪くない方法か?
とも考えている。
今週は、此のアプリ選択で頭を悩ませられそうである。

ファイルをカタログ化してくれる何か良いソフトを知りませんか?

今一寸こまっている事が有る。Macの中のファイルが統一がとれてない事だ。
大事にしているあまり、あちこちにバックアップを作っては、同じ種類のファイルの重複をさせてしまっている。
ファイルのカタログを作って、不要なものは整理したいのだが、
なかなか適当なものが見当たらない。
どなたかお勧めのソフトを教えて頂けないだろうか?

ファイルの格納して有る場所を含めカタログ内に書き出してくれる事が望ましい。
時系列で似たようなファイルを並べてくれるといっそう有り難い。

ペットボトル使用を止めよう!

エコについて、再び考え始めている。
大雪で大変な環境に於かれている方々に何もしてあげれないので、気持ちだけですが、応援のエールをお送らせていただきます。

いくら自然の力と言っても、間接的には我々人間が片棒を担いできた結果として、予想を超えるいろいろな災害が身に降り掛かってきているのではないかとも思います。そんな事から、エネルギーの消耗を少なくする為の我々自身が出来る事柄を棚卸しする時期かとも思っています。

一番手短にできる、

ペットボトルの使用を止めましょう!

ゴミとボトル生産のイタチごっこではありませんか?

身体について

人間の身体の仕組みについて考えると不思議な事ばかり。
テレビで1秒間に我々の身体で起きる事柄を上手く説明していた。
1秒間に一回心臓の鼓動がある。
1秒間に心臓から送り出される血液の量は600㏄。etc.など
或る単位を基準に、物事を比較すると意外とスッキリ理解した気になれる。
日常生活に於いても、この方法を取り込んだらスッキリした時間を過ごす事が出来るのに、と考えたのは私だけでしょうか?
順序よく、物事を推し進めれば、またまた発生した米国産牛肉の輸入停止も起こらなくて済んだ事でしょう。
事を急がせているのは、誰か?
その誰かを、いつまで友達であるかのように誤解し続けるのでしょうか?
同じ身体なのに、片方はそれを食べる側。もう一方は生産する側。
牛に引かれて善光寺。
そんなのどかな時代は、再び戻ってくるのでしょうか?
グローバル化という美名の下、いろいろな不平等を推し進めている事に気が付いているのはヨーロッパの国々だけなのでしょうか?
同じ地球という身体の中に住まわせてもらっているという、自覚をそろそろしっかり持たないと、各自の独自性が奪われてしまいますよ。
建て前と本音を上手く使い分けているのは、日本ではなく案外外国の人たちのようですね。
体つきにあった生活。身の丈にあった住まい。
そのようにして日本の国が続いてきた事を忘れないで後世に伝えたいと思います。

新たな顔立ち

 今回、レイアウトの全面的更新をしました。
いろいろ迷った揚げ句このような顔立ちにしてみました。
RapidWeaverというイギリス製のソフトを使っての更新です。

学力低下について

最近、学力低下を危惧する話題が頻繁に出てくるようになった。
学力低下の最も著しいのは、日本語ではないのでしょうか?
地域差が拡大しているからかもしれませんが、身近にいる小学生・中学生に質問しても『この漢字習っていません!』という答えが多い。学校で教わる漢字がどうも極端に減っているようだ。そこに拍車をかけて自分で辞書を取らない漢字を自主的に調べる生徒も減っている。第一辞書を引かなくても良いような体制になっている。
教科書に新しい言葉の意味が予め載っている。

このような余計なお世話をして、子供たちのせっかくの能力を奪わないで欲しい。
子供とは、元来好奇心の塊です。

手厚い保護のもとに好奇心が薄くなった子供の顔は、すでに老人顔です。
自分自身のことを表現するにも正しく日本語で言い表わせない。
そこからジレンマとなり、あっという間に心を閉ざす方向に傾いてしまいます。
自分の気持ちを言い表わせるように『日本語』を身に付ける。
それが学力向上の本当の意味の第一歩だと思います。
『先生』は子供たちの鏡で無くてはなりません。
日本人だから必ず正しい日本語を話せるわけではありません。
一人一人が努力精進して今までのすばらしい日本の文化としての日本語が存在していたのです。
日本語もろくに話せないような『教師』はいりません。ここをちきんと教育し直すのも次の一歩として手を打たなければならないようにも思います。

久しぶりの更新です

最後の更新から2年も過ぎていてビックリ。
テーマ別にホームページを別けて書くことにしていたのですが、
筆無精にとってはそろそろ同一の場所から話題を分岐させるべき時が
来たのかもしれません。
Thingamablogを使った方のページは何とか更新し続けているのですが
RapidWeaver3.5.1を使っている此のページはソフトの方の更新がかなり有って
使い勝手が最初の頃に較べ複雑になった割には余り新しさも感じられなくなり
ついつい遠のいてしまっていると言うのが更新が遅れていた言い訳です。スミマセン。
RapidWeaverについての感想が何処かのホームページに載っていて、とにかく重くて遅い。
というのを目にしてから、同感同感と相づちを打ったのが悪かったのですね。
日本の販売店から手に入れることが出来るようになってからは
最新のRapidWeaverは試していないので性能がどうなったか判りませんが、他のソフトと較べ
どうなんでしょうか?
最初の購入のきっかけはDreamWeaverではブログが書けないので何か良いソフトは無いかと
探したら一番デザインが気に入ったので£建てで購入しました。
ページのデザインをシェア出来ると言うアイディアにいたく共鳴したものです。が次々に出されるデザインは
料金支払うための日本からの送金手続が煩雑なので尻込みしている内にソフトの更新の方に追い越されてしまいました。
今後も此のページを更新して行きたいとは思いますが、万一新しい記事が書かれていなかったらお許し下さい。

そだてる

そだてる — 別離への不安

動物でも植物でも、およそ生命あるものは、与えられた環境のもとで自然に育ってゆく力をそなえている。とくに手を加えなくても自然に「育つ」ものを、あえて「育てる」ところに文化が成りたつ。動物を家畜として育て、植物を農作物として育てることをはじめたとき、人類の文化は、その発展への大きな一歩をふみだした。 家畜や作物にかぎらず、何かを「育てる」活動のなかには、通例、育てる側からのなんらか の方向づけの要素が含まれている。子供を「育てる」過程も、しつけや教化の要素をぬきにし ては成りたたない。

 こうした「方向づけ」の側面を強調して、昔の人は「そだてる」という言葉を、ときに「おだてる」「扇動する」の意味に用いた。しかしもちろん、自然に「育つ」側面を無視して「育てる」ことはできない。内側からの成長と外側からの形成との、いわば接点に「育てる」活動がある。あるいは「なる」(自然)と「つくる」(人為)との中間といってもよい。そして昔から、わたしたち日本人はこの中間領域を重視してきた。

  人間も「氏より育ち」である。血統よりも環境がたいせつだ。教育環境の重要性を説く「孟母三遷の教え」なども、本家の中国より、むしろ日本で広く流布しているのではないか。むろん、出生より環境という思想は、一面において、現実には出生がものをいう身分社会に対応するものだ。しかし、せめて子供にたくす、親たちの夢や願望がそこに投影されているという意味では、この思想は「現代的」である。たしかに伝統的な身分社会は崩れたけれども、今日の学歴社会は、ある面で身分社会と相似の構造をもつ。「教育ママ」と呼ぱれる現代の「孟母」たちも、この構造が生みだしたものだ。

  子供を「育てる」にせよ、部下を「育てる」にせよ、あるいは弟子を「育てる」にせよ、その本来の目的は相手をひとり立ちさせることにある。しかしこの目的は、育てる側のエゴイズムのゆえに、あるいは育てる相手への強い愛着のゆえに、ともすれば見失われがちである。

  しぱしぱ人は、相手の自立をめざす活動に従事しながら、しかも、そのときがくるのをひそかに恐れる。相手の自立は一種の別離を意味し、また自己の影響力の喪失を意味するからである。こうして、「育てる」過程の成就をなんとかひきのばそうとする無意識的な傾向が生じ、さらには、客観的にみれぱこの過程の成就であり本来の目的の達成であるものが、相手の裏切りや忘恩と感じられるということも起こる。

  どうやら、わたしたちは、「育てる」ことを「つくる」ことの側に引きよせすぎたようである。ここらで、「親はあっても子は育つ」という坂口安吾の逆説を思いだしてみるのも、わるいことではないと思う。

(井上俊) 『動詞人間学』講談社現代新書408 より引用

そだてる

そだてる — 別離への不安

動物でも植物でも、およそ生命あるものは、与えられた環境のもとで自然に育ってゆく力をそなえている。とくに手を加えなくても自然に「育つ」ものを、あえて「育てる」ところに文化が成りたつ。動物を家畜として育て、植物を農作物として育てることをはじめたとき、人類の文化は、その発展への大きな一歩をふみだした。 家畜や作物にかぎらず、何かを「育てる」活動のなかには、通例、育てる側からのなんらか の方向づけの要素が含まれている。子供を「育てる」過程も、しつけや教化の要素をぬきにし ては成りたたない。

 こうした「方向づけ」の側面を強調して、昔の人は「そだてる」という言葉を、ときに「おだてる」「扇動する」の意味に用いた。しかしもちろん、自然に「育つ」側面を無視して「育てる」ことはできない。内側からの成長と外側からの形成との、いわば接点に「育てる」活動がある。あるいは「なる」(自然)と「つくる」(人為)との中間といってもよい。そして昔から、わたしたち日本人はこの中間領域を重視してきた。

  人間も「氏より育ち」である。血統よりも環境がたいせつだ。教育環境の重要性を説く「孟母三遷の教え」なども、本家の中国より、むしろ日本で広く流布しているのではないか。むろん、出生より環境という思想は、一面において、現実には出生がものをいう身分社会に対応するものだ。しかし、せめて子供にたくす、親たちの夢や願望がそこに投影されているという意味では、この思想は「現代的」である。たしかに伝統的な身分社会は崩れたけれども、今日の学歴社会は、ある面で身分社会と相似の構造をもつ。「教育ママ」と呼ぱれる現代の「孟母」たちも、この構造が生みだしたものだ。

  子供を「育てる」にせよ、部下を「育てる」にせよ、あるいは弟子を「育てる」にせよ、その本来の目的は相手をひとり立ちさせることにある。しかしこの目的は、育てる側のエゴイズムのゆえに、あるいは育てる相手への強い愛着のゆえに、ともすれば見失われがちである。

  しぱしぱ人は、相手の自立をめざす活動に従事しながら、しかも、そのときがくるのをひそかに恐れる。相手の自立は一種の別離を意味し、また自己の影響力の喪失を意味するからである。こうして、「育てる」過程の成就をなんとかひきのばそうとする無意識的な傾向が生じ、さらには、客観的にみれぱこの過程の成就であり本来の目的の達成であるものが、相手の裏切りや忘恩と感じられるということも起こる。

  どうやら、わたしたちは、「育てる」ことを「つくる」ことの側に引きよせすぎたようである。ここらで、「親はあっても子は育つ」という坂口安吾の逆説を思いだしてみるのも、わるいことではないと思う。

(井上俊) 『動詞人間学』講談社現代新書408 より引用

がまんについて

我慢する事が少なくなっているのだろうか?
デパートの初売り風景にもビックリさせられる。
今持っているものに飽きたらず、何をさらに持ったら満足するのでしょうか? 人を押し分けてでも、自分の欲しいものは手にする。なかなか根性があって素晴らしい事なのかも知れません。でも、その一方で、着るものや食べるものにも事欠く人々もいる事を忘れないで欲しい。
ちょっと自分が優しくなる事。それはほんのわずかでも我慢をして、人の為に譲る。というのは空しい事なのでしょうか?
地球温暖化を防ぐ対策について色々知恵を出し合っているようですが、根本的な解決法はまだまだのようです。
ちょっと我慢をする事を念頭に置けば案外身近な所に解決法が転がっているかも知れません。
たとえば、テレビの放映を深夜は止める。
そうすると、電波を出している側、受け取る側双方の電気の消費が減りますからトータルな意味での省エネになります。電力を作る為のエネルギーを節約出来て空気も少しは良く成るというものです。
それとペットボトルの生産を減らす。みんなで出来る事はペットボトルを使わない事を申し合わせる事です。ゴミ消却から排出される汚染物質もへり、石油の消費も減り、良い事ずくめですよ。ちょっと重たいとか、壊れやすいから、とかで使われなくなったガラスの瓶を使う事を実行しませんか?
形有るものは必ず滅す。といにしえの人は教えてくれました。
だから、壊れないように大切に、大事に扱う事を身につけたのです。
壊れないようにする事は、気持ちを荒廃させる事と同じ危うさがあります。
学校給食の食器を、昔のように瀬戸物にする所も出てきました。問いも素晴らしい試みだと思います。良い方にも悪い方にも、塵も積もれば山となるです。日常の一つ一つの小さな積み重ねが、この地球をいつまでも住みやすいものにするのだという事を、皆さんと共に大きい声で訴えていきたいと思います。
人の心や知恵について色々考えてみたい方は
こちらのページをお薦め致します。もう一つの 寺子屋ちえのき はこちらへどうぞ!

『エゴからエコへ』


 耳よりナ話題を多く取り上げていこうと思います。

ことば遊びを始めとして、皆さんと一緒に楽しめる場所にしたいと思っています。

同じ土俵の上で 情報のやり取りが出来れば、皆楽しく仲良く暮らせることと信じています。

一つ一つがこの地球上でかけがえが無い存在。

一人ひとりが大切ないのち。

「セロ弾きのゴーシュ」の中の台詞ように

『ではあなたにはわからないんです。わたしらのなかまならかっこうと一万いえば一万みんなちがうんです』

『耳』の持つ不思議な世界に迫ってみよう!

 耳の力を強化するために最近の社会事情を“評論”することが大事な仕事になるかナ?





Presented by 山猫軒,2005.12