再び、育てる

世界で一番木を植えたと言われる人がこの日本にいる。
寺脇 昭氏が、その方である。
先日ラジオで講演の最後の方だけ聞く機会があったのだが、講座の最後に言われた言葉がとても印象的だった。
植物は、その基本となる環境を考えて植えてやらないと生育しない。
表面的な見てくれだけを優先して植えると、木々が森にまで育たない。
その土地土地にあったものを選んで、お互いの樹の関係をきちんと取ってあげれば何十年何百年と経つに従って森を形成する。そうしてできあがった森は、様々な試練(大風、台風、火災など)にあっても必ず生き残って、再び緑豊かな森に再生していくとの事でした。浜離宮の木々も、空襲や関東大震災の炎から生き延びてきた証拠なのだそうです。
本物は、どんな状況下にあっても必ず生き続ける。
どんな困難にあっても、びくともしないものが本物。とおっしゃっていました。
今の世の中に、本物と謳い文句を並べている割には、柔なものが多いのにビックリしていますが、“本物”“ほんまもの”等と表現する事を我々の手で排除しようではありませんか?
手間と時間をかけられるのが、本物の第一歩なのではありませんか?
皆さんは如何お考えですか?

とんねるずの「食わず嫌い」に出演のシャラポアさん。
「子供達がどうしたらテニスが上手くなれるか」というに対して
最後にアドバイスを一言。

『ベストを尽くす事。後で後悔したくないから、やれる事は総てやる。』
という言葉をくれた。

やはり世界一になる人は、努力の人。
共通の考え方をする。

日本の子供達!そのような彼女の姿を目の当たりにしたら
自分自身でベストを尽くす事を、学び取ってください!

農薬入り食品を判断する基準

世の中にあふれている情報を処理する能力が求められる。
昔は情報が飛び交うほど手段が有り余っていなかったので直接手に触れ自分の目で確かめることができた。
自分の五感さえ信じれば判断する基準は手に入っているのと同じだった。
自分の手にとって、自分の目で確かめればこれほど騒ぎは大きくならなかったのか?
それとも徹底的に追求する気運がみなぎったのか?
いずれにしろ、判断の基準を自分自身で手に入れなければ、安全さえも脅かされてしまう。

パソコンについて

ホームページの体裁を変えようと勉強を始めた。インターネットの世界では様々なブラウザが考案され、かつてのI.E(インターネット・エクスプローラー)と N.N(ネットスケープ・ナビゲーター)戦争も影を潜め、優秀なソフトが次から次へと排出されている。
OPERAやFireFoxといった名称の面白い物も出ている。
ホームページを見せる側は、かつてのHTMLでタグを打つだけでは対処出来ないような複雑なレイアウトを可能にしたCSSを使用しての綺麗な画面表示となっている。双方向性が当たり前になってきた現在、Blogは出来て当たり前。掲示板も書き込みが色々の体裁で増えている。この様な世の中の動きを勉強しようと、少し重い腰を上げてみた、がなかなか手強い。新世代のWebサイト構築に欠かせないのがPHPとデータベース(MySQL etc.)を扱えるサーバー。
幸い、マックの場合は簡単にローカルで疑似サーバーを体験出来るので色々インストールして試験をしている。
ソフトの選択には、MacOSXで動作し、GPL準拠で、トラックバックが可能、入り口にあたるページのデザインが変更可能なもの。をさしあたりの基準とした。
知識不足でインストールの手前(環境は総てクリアしていますとコメントがでる)まで行ったのだが、いざインストールの.phpファイルで躓くのでMovableTypeは断念。(いまだにファイルの手直しが進んでいません)そんなことから、Nucleus Xoops P-BLOGにトライした。
NUCLEUSは私の出身校王立ブリュッセル音楽院のあるベルギー発なので先ず試してみた。説明書のバージョンと違うので時折本の通り入力しても先へ進めないことが起きる。しばらくして結局はMySQLの使い方に熟知していないとどうにもならないような気になり、集中的に勉強開始。見通しは甘かった。動かしているのは結局PHPの命令であり、データが出来たところで出し入れが出来ないと宝の持ち腐れ状態でしかない。NucleusもP-BLOGも所詮ブログ系のページにしかなり得ないのでMvableTypeを含めて一時中断することとした。サーバーの問題さえなければと、一番興味を引かれているのが目下の所XOOPSで有る。同じような名前のXOPEは私のMacでは走りそうもないので断念。 いろいろなモジュールと呼ばれるものを組み合わせて運営することが出来るとのこと。情報の扱いの安全面でもProtectorというモジュールを使用することで対処出来そうな情報にも出会い、心配事は殆どクリアしてくれている。プラグインという概念もなかなかよく分からなかったが、使ってみる内に意味合いも把握出来るのでホッとしている。
分からない世界を知ることは、自分自身の欠点を見いだせるチャンスでもある。知らないこと、分からないことをきちんと仕分けて、分類し筋道を正しく取れば自ずから先が見通せる。
 幸い、私の生業とする音楽などと違って、感情という複雑なものを扱うことがないので、冷静に対処すれば答えが導き出されてくる。
 しかし、逆に考えれば、感情を見向きもしない精神が育まれる危険性もコンビュータについて学習するという中に潜んでいると言うことである。
 やはり生きた人間として論理性とあいまって情緒が育まれる世界こそ、子供達がどっぷりとつかっていても安全な世界なのだと思う。